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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)8114号 判決 1984年7月30日

原告

堀尾博

右訴訟代理人

松村猛

被告

西野忠男

被告兼右被告西野忠男法定代理人親権者父

西野忠利

右両名訴訟代理人

澤田隆

宮崎裕二

主文

一  被告らは各自原告に対し金一七四九万四四六五円及びうち金一六四九万四四六五円に対する昭和五五年五月一二日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一事故の発生について

請求原因1(事故の発生)の(一)ないし(四)記載の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>及び弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、大阪市阿倍野区内の市街地を南北に走る大阪和泉泉南線(以下「南北道路」という。)と、幅員約七メートルの東方に通じ大阪高石線に至る道路(以下「東行道路」という。)とがほぼ直角にT字型に交わる信号機により交通整理が行われている交差点で、南北道路は歩車道の区別があり、車道部分の幅員は約15.3メートルで中央を幅約1.5メートルの分離帯で南行車線(幅員約7.4メートルで二車線)と北行車線(中央分離帯から西端方向へ順に幅約3.2メートルと約3.0メートルの二車線及び、幅約1.2メートルの路側帯がある。)に区分され、東行道路との交差部分をはさむ形で南北両側に幅約4.0メートルの横断歩道とさらに交差点内にX字型の斜め横断歩道とが設置された(いわゆるスクランブル交差形式)交差点である。北行車線、南行車線とも横断歩道手前には停止線が設けられ、本件事故現場付近の南北道路は制限時速四〇キロメートル及び駐車禁止の交通規制がなされていた。本件事故当時天候は晴れで夜間ではあつたが街灯等により交差点付近は明るく照明され見通しも良好であつた。

2  被告忠男は、加害車(排気量四〇〇cc二輪車)後部に友人一名を同乗させ時速六〇ないし七〇キロメートルで南北道路の北行車線を北進して本件交差点にさしかかり、対面信号機が赤色に変わつたのに従つて同交差点手前で停止した先行車両の間を幾分減速しながら通り抜けて最前部に出たのであるが、その際直前の横断歩道上を歩行者が横断し始めているのを目撃したが意に介することなく自己の対面信号機の表示を十分確認もせずそのまま同交差点を直進通過しようとして再び急加速して交差点に進入したため、東方から青信号に従つて横断歩道上を西へ横断歩行中の原告に自車前部を衝突させて原告を左斜め前方へ約10.8メートルはね飛ばして転倒させ、その衝撃で一旦振り返つたもののそのまま現場から逃亡した。なお、被告忠男は本件事故当時一五歳七か月で運転免許を有しなかつた。

以上の事実が認められる。もつとも、<証拠>には、被告忠男が本件交差点に進入する前には先行車がなく時速六〇ないし七〇キロメートルのまま直進通過しようとしたこと、原告は赤信号で横断を開始したこと、及び原告はふらふらした足どりで横断を始め分離帯から加害車直前に飛び出してきた旨の供述部分があるが、いずれも<証拠>に照らしにわかに採用することができず、また<証拠>によつては直ちに原告が飲酒していた事実を認定することはできないし、たとえ原告が飲酒していたとしても、本件全証拠によつても飲酒の程度、歩行状態が事故の発生に影響を与えたことを認めるに足りる証拠はなく、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

二責任原因について

1  被告忠男の責任(民法七〇九条)

前記事実によると、被告忠男は本件事故当時満一五歳七か月の有職少年であるから、行為の責任を弁識する能力を有することは明らかである。

請求原因2(責任原因)の(一)記載の事実は、被告忠男が対面信号機の赤色表示を無視したとの部分を除き当事者間に争いがなく、この事実と前記一(事故の発生について)の認定事実を併せ考えると、被告忠男は運転免許をもたず運転技能が未熟であつたのにかかわらず加害車を運転し本件交差点に至つた際、目前の横断歩道上を歩行者が横断し始めているのを目撃しており、かつ対面信号が赤色を表示していたのであるから信号表示を確認しこれに従つて交差点手前で停止し横断歩道を安全に通過させるべき注意義務があるのにこれを怠り、信号表示も横断歩行者の動静も十分確認しないまま交差点手前で停止せずそのまま通過しようとして同車を加速進行させた過失により本件事故を惹起したことが認められるから、民法七〇九条に基づき本件事故による損害を賠償する責任がある。

2  被告忠利の責任(民法七〇九条)

請求原因2(責任原因)の(二)記載の事実及び被告忠利に同忠男に対する監督上の責任があつたことは当事者間に争いがなく、これによると被告忠利は同忠男の父としての監督義務違反により本件事故を惹起させたものといえるから、民法七〇九条に基づき本件事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

三損害について

1  受傷、治療経過等

(一)  受傷<省略>

(二)  治療経過<省略>

(三)  後遺症

<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すると原告は前記(一)の受傷により次の後遺症を被つたことが認められる。

(1) 脾臓亡失

膊臓破裂により摘出手術を受けこれを喪失した。

(2) 頭部外傷後遺症による精神神経症状

頭部外傷(右前額部挫傷)による後遺症として前記治療期間中の昭和五五年六月一一日コルサコフ症候群(主に失見当識、健忘及び作話の三症状がある場合の臨床上の診断名)と診断され以後薬物療法が続けられたが、同五六年二月一八日に精神神経科の関係で症状固定の診断を受けた。当時の症状内容は、コルサコフ症候群、抑うつ状態、意識の減退、稀に夜間譫忘状態を示す、というものであつた。レントゲン(CT)検査上は明らかな骨折線や出血は認められないが、心理検査によると器質的異常が疑われる結果が出ており、これらによると、形態学的及び生理的変化の点では正常範囲ではあるが、神経細胞が何らかの障害を受けていると判断される。

なお、症状固定後も精神神経科の治療は継続されているが、遅くとも同五七年五月以降は見当識の喪失及び作話は見られずコルサコフ症候群には該当しなくなつたがなお頭部外傷後遺症そのものは残存し、心理テストの結果は記憶に関する因子がやや落ちていて軽度痴呆と判断されており(この点は症状固定前と変わらない。)、症状固定後においてもかなり高度な判断力を要する仕事(たとえば後記原告がかつて従事したパイロット万年筆の係長の執務。)は無理であろうと診断されている。

(3) 右尺骨神経不全麻痺による後遺症等

(イ) 主訴 頸部痛、右足関節部痛、右手痛(尺側)、右手尺側部のしびれ、左側胸部痛

(ロ) 検査結果・他覚所見右環・小指の知覚純麻、右手拇指球部・小指球部・骨間節の萎縮、握力低下(右九キログラム、左三一キログラム)、レントゲン線的には骨折部は癒合、腱反射、PTR、ATR両側共やや亢進。

(4) 醜状障害

左胸部に三センチメートル及び二〇センチメートルの手術時瘢痕、腹部正中に一五センチメートルの手術時瘢痕、左足関節内側と右足関節内側に各三センチメートル、一センチメートル、右眉部に約二セソチメートルの各外傷時瘢痕、頸部正面に気管切開時の瘢痕がそれぞれ残存している。

(5) 日常生活

退院後一人で自転車に乗つて自宅近辺に出掛けたり通院し一日に二回位の割合で散歩し歩行練習をしているがなお健忘症状を比較的多く呈する。

(6) 自賠責保険の関係では後遺障害三級の認定を受けた。

<証拠判断省略>

2ないし5<中略>

6 休業損害及び逸失利益 二五〇八万六一六〇円

原告が本件事故前に大栄物産に勤務していたが退職し本件事故当時無職であつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>によると、原告は昭和七年八月七日生まれで短大卒業後パイロット万年筆に入社し、同三六年六月に美代子と婚姻し、同社係長まで昇進した後同四二年に希望退職し、その後商品取引の会社等数社に勤務したが何れも定職とするまでには至らなかつたものの平均十数万円程度の月収は得ていたこと、同五四年に金の先物取引を業とし商号を大栄物産とする会社の設立者の一人となり専務取締役として月額約三〇万円の収入を得たこともあつたが同五五年二月ないし三月に同社を辞めており退職前の月収は一八万円であつたこと、その後同年四月ころ骨董品商を営む有限会社東京堂商事に勤務したが勤務状態が悪く約一〇日間で解雇され(その間の収入五万円)、以後本件事故当日まで無職無収入であつたがその間新聞の求人欄や職業安定所等で勤め口を探しており健康状態も就労を不能ないし困難とするような既応症は見られなかつたこと、妻美代子との間に子はなく二人で同居生活を続けているが妻は同五四年二月ころからビジネスホテルに勤務し同年六月ころ以降は家計も別々にするようになつたが別居や離婚には至つていなかつたことが認められ<る>。

右事実によると、原告は本件事故当時無職無収入であつたのであるから少なくとも事故当時の労働の対価としての現実の収入を基礎とする休業損害は認められないけれども、右事実によると、原告は本件事故当時労働能力を有していたのみならず就労の意思も有していたと認められ、本件事故に遭わなかつたとすれば遅くとも前記認定の精神神経科関係の症状固定日である昭和五六年二月一八日ころまでには何らかの職に就いていたと推認できるから右同日以降の後遺症による逸失利益を認めるのが相当である。ただ、右認定の原告の従前の職歴、殊に昭和四二年以降約一三年間にわたり転職が少なくなかつたこと及び事故前の就労状況と就労に対する意欲の程度にかんがみると、逸失利益の算定基礎として同年代の有職者全体の平均賃金を採用すべきでなく蓋然性が認められる額としては少なくとも昭和五六年賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計男子労働者学歴計四五ないし四九歳の年間平均賃金の七割にあたる三一八万七七三〇円程度の年収を得られたであろうと認めこれを算定基礎とし、前記1の(三)(後遺症)で認定した事実によると、原告は本件事故による前記後遺症によりその労働能力を少なくとも六〇パーセント喪失したものと認め、その喪失期間は前記症状固定日である昭和五六年二月一八日から六七歳までの一九年間と認めるのが相当であり、以上を基礎として原告の逸失利益を年別のホフマン式(その係数13.1160)により年五分の割合による中間利息を控除して症状固定時の時価を求めると二五〇八万六一六〇円となる。<中略>

四示談の抗弁について

<証拠によ>ると、高津は、損害保険代理業者であるが、原告の依頼により自賠責保険金の請求手続について助力すること及び原告被告間の示談につき原告側の立場で交渉に協力することを任せられていたが、本件事故による損害賠償に関する示談契約を締結するについて原告から代理権を授与されるまでには至つていなかつたこと、高津は昭和五六年六月一〇日ころ原告方で原告と被告忠利との話合いに同席して損害額試算の書面(乙第五号証)を同被告に示して説明したがその日に交渉は妥結しておらず、自賠責保険で解決し原告は被告らにそれ以上の請求をしないという合意が成立した事実もなかつたことが認められる。もつとも、<証拠>中には、原告が本件事故による損害賠償に関する交渉を全て高津に任せた旨の供述部分もあるが、<証拠>に照らすと原告が高津に対し右損害賠償に関する示談契約を締結するについての代理権までを授与した趣旨と解することはできないし、<証拠>中には、同人と高津との間で自賠責保険金が下りた時点で本件事故の賠償の件は一切解決するという話合いになつた旨の供述部分があるが、高津は請求総額四八三九万三一〇〇円と記載した試算書(乙第五号証)を被告忠利に提示していながら一転して自賠責保険の範囲内の賠償額で解決する旨の提案をし合意をしたというのは不自然であるし、そもそも自賠責保険の範囲内の賠償額を得られるのは被害者にとつて当然の事柄であつてそれで解決済みとするのでは被害者に何のメリットもないから本件のように重大な被害を生じている場合には、かかる示談をするにはそれ相応の事情がなければならないが本件にはそのような事情も見出せないから、同供述部分はそれ自体極めて疑わしいものである上、<証拠>に照らしてにわかに信用できず、他に示談が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

五過失相殺の抗弁について

前記一(事故の発生について)で認定した事実によると、被告忠男は無免許で運転技能が未熟であるにもかかわらず制限速度を二〇キロメートル以上も上回る速度で本件交差点に至つたうえ、進行方向の信号が赤色であつたのにかかわらずその表示及び横断歩行者の動静に注意を払わず加害車をさらに加速させ交差点内を通過しようとした交通法秩序を無視した無謀ともいうべき重大な過失があるのに対して、青信号に従つて横断歩道上を歩行中であつた原告には加害車を優先させて通過せねばならない義務がないのはもとより本件事故発生を回避する可能性も認めることはできないから、原告には何ら過失はない。

したがつて、被告らの過失相殺の抗弁を認めることはできない。

六損害の填補について<省略>

七弁護士費用について<省略>

八よつて、原告の本訴請求は、損害賠償として被告ら各自に対し一七四九万四四六五円及びうち弁護士費用を除く一六四九万四四六五円に対する損害発生の日以後である昭和五五年五月一二日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその限度で正当としてこれを認容し、その余の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(吉田秀文 加藤新太郎 五十嵐常之)

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